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掛け持ち無能従者!

動物達の賛美歌

 太陽もまだ昇りきらない朝焼けの原っぱで何人もの男女がブツブツと呪言を唱えている。

「集中!夜から朝になり、魔が急速に散開するこのときに法力を練りこむのだ!」

 黒光りする杓杖を鳴らしながら日間が怒鳴りながら冷水をひしゃくですくって彼らの頭上に
降りかけて叱咤する。

 その後ろで眠そうな顔で水の入った桶を持って立っている錬の頭に冷水が盛大にかけられた。

「……何するんですか?」

「従者をクビになったと言うのに未だそのやるきの無い態度……シャキっとさせてやったんだ」

 ふふんと笑って無視するようにまた水をすくって男女らに振り掛ける。

「……寒」

一言呟いて……それでも黙って桶を持ち続ける。

 朝日が完全に顔を出すと、次は裏手にある滝に入り数時間の瞑想する。

 滝に入りきらなかった人間達は囲み、呪言を唱えて集中力を保つ。

 それをローテーションを組み、数十人で繰り返して夜の本番につとめるのだ。

 その間雑用である錬は他の仕事があるため滝を離れる。

「何の役にも立たないんだからせいぜい頑張れよ!」

 誰かが後ろから叫んで、その場にいたほとんどの人間が笑い転げる。

 笑っていないのは緊張した面持ちの月代と厳しい顔で周囲を睨んでいる日輪だけだった。

 からかいの言葉を背中にたっぷりと受けながらも、錬はいつものように飄々とした動きでそ
の場を離れていく。

 やがてしばしの休憩に入ると、日輪が待ちかねたようにその場から走りだしていく。

「日輪……どこにいくの?」

月代に呼び止められ、ビクリとした態度で日輪が振り返る。

「いえ……家の方に用事がありまして」

「そう……ああ、それなら……いいの……」

「……?失礼します」

 うやうやしく頭を下げて足早に日輪はその場を去る。

 ふと数分程歩いたところで何故か腹が立っていたことに気づく。

 時期当主である月代と有藤家の人間とはいえ、女で兄ほどの倒魔の才を持っていない自分は
接点などほとんどなかった。

 会話したことも数えるほどかもしれない。

 それなら何故私は怒っているのだろう?

 自問しながら有藤の屋敷の台所を見てすぐに出て行き、今度は本家の屋敷の方へと歩き出す。

 そもそも私が月代様に対して不満を持つことなどあるだろうか?

 時期当主とはいえ、青海家史上最大のカリスマ性と能力を持った当主様が未だ健在で一族の
内外をしきっているので月代様が有藤や他の家達に何か言ってきたことは無い。

 あったとしてもそれは現当主である鈴理様の命であり、特に私自身がその命に不満に思った
ことなど無い。

 ……では何故私は月代様に腹を立てているのだろう?

 本家の屋敷に入ろうとしたところでやめる。

 何故なら目的がそこにあるはず無いからだ。 何となく、人の少ない方へと歩き出す。 妙
な確信を持って……。

 それでは私は何故こんな不遜な気持ちを持ってしまっているのだろう?

 今だって何か静かにはっきりと燃える気持ちを理解している。 この気持ちの理由は……、

「あっ……」

 急に立ち止まり声を上げてしまった。 目的がそこに立っていたからだ。

 自分が近づいていることには気づいていないようで古ぼけた石である封石を優しく撫でてい
た。

 結界の様子でも見に来たのかしら?

「何をしているのですか?」

 思った以上に自分の声が堅い。 喉に何かが挟まっているような錯覚を感じる。

「……別に、屋敷に居ても邪魔にされるからさ」

 いつものように情けないことを言ってそっと封石に触れていた手を離してこちらを振向いた。


「全く貴方はこんな大事な日だというのにこんなところで油を売っていたのですか。早く屋敷
に戻ってくださらないと有藤の家の……あっ、」

 ……そうだ、すでにこの人は有藤の家の者ではないのだ。 

 彼が有藤の家にかつて住んでいたのは彼が私の許婚だったからだ。 そしてその約束は正式
にではないけれど取り消されている。

「……どうかした?」

「……いいえ何でもありません!とにかく早く屋敷に帰って何か手伝いをしてきてください!」

「わ、わかったよ。いま行きます!」

 私の剣幕に慌てて屋敷の方へと走っていく後ろ姿を見つめ、考える。

 あの人は今回のことをどう考えているのかしら……。 自分にも問い返してみる。

 私はあの人を一体どう思っているのかしら? 

 昨夜の一件は自分の意見を聞くことなく、父が勝手に決めたことに反発して婚約解消に反対
した。

 『犬や猫ではない』本当にそれだけだったのだろうか? 

 そっとあの人が撫でていた辺りを自分も指先で触れてみる。 気のせいか少しぬくもりが残っ
ているような気がした。

 遠くで休憩の終了を知らせる鐘が鳴っている。 日輪は封石の前から小走りで走り出した。

 憤りの答えはまだ見つかっていない。




 今夜の儀式の後の宴会料理の下拵えで大忙しの調理場のすみで錬も忙しそうに手を動かして
いる。

「錬様……何をしているんですか?」

 年配のお手伝いさんの一人が興味深そうに覗き込む。

「宴会の時に献上する予定のデザートです」

 真剣な顔で満月のような淡い黄色の物体の上にクリームで円状に囲い、その中にチョコレー
トを湯銭で溶かしたものをスプーンで少しずつ垂らしながら答える。

「はあ……ずいぶんとハイカラなものをしっているんですね」

 答えずに錬は神経質そうにスプーンを回しながらチョコレートを渦巻き状にかけていく。

 こんなことだから皆に能無しと言われるんだわ……。

 心の中で軽く毒づいて錬から離れる。 自分だってこんなところで無駄口叩く暇などないの
だから……しかし……。

 チラリと錬を見て考える。

 この人がこんなに真剣に何かを作っているのを始めてみたわ……。 

 しかしその違和感も運ばれてくる器の量に押し出されて消えていった。

 やがて新月の晩から数日たち、やっと形作られてきた月が天頂に達したとき、周りに篝火を
焚かれた封石の前には今日一日で十分に気力を充実させた蒼海一族屈指の猛者たちが集合して
いた。

 風は無風。 パチパチと薪が爆ぜる音以外はわずかに聞こえる息遣いしか聞こえないほどの
静寂の中で彼ら彼女らは緊張した面持ちでその時を待つ。 
 やがて封石の前に用意されていた踏台に御当主鈴音がゆっくりと上がる。

「………………」

 踏台に上った鈴音はただ目をつぶり黙りこんでいる。

 その仕草で場の緊張感が息苦しいほどに高まってくる。

 しかし誰もそれにつぶされそうな者はいない。 皆、真剣な顔で各自の使命と名誉を胸に秘
めて揺らがずにその場に立っている。

「いい気迫だ。揺れる者はいないようだな」

 すっと目を開いて鈴音が静かに口を開く。

「さて……今宵はかの大妖に新たの封印を施す夜。

「ここにいる者は古の猛者、始まりの開祖達にも劣らない実力であることは疑いない、だがゆ
めゆめ忘れることなかれ、いくら封ぜられようとも大妖は今このときも結界の綻びからお主ら
をその赤く光る目で見つめていることを……」

 そこで言葉をいったん切り、左右に位置した篝火に両手を向け、叫ぶ。

「さあ……四百年も封ぜられ続けている大妖に宣言しようではないか、この時代、この日、こ
の夜に汝の目覚めはまた延長される!十年!百年!千年後にも!問おう!封石にいる妖を平伏
させる者たちの名は?」

「蒼海!」

 鈴音の前に立つ猛者達が答える。

「冥府よりも深き深海……その名を持つものは?」

「蒼海!」

「よろしい!ならばこの蒼月の地に住まう守護者、蒼海の名を妖に刻み続ける当家の代表とし
てこの蒼海鈴音がここに月封の儀式を開始する。皆のもの所定の位置に散れ!」

 その言葉と共に開始を告げるように篝火から火柱が一瞬上がる。 それを合図に彼らが駆け
足で散らばっていき、組織だった動きで封石を中心に三方に散る。

「三角包囲陣……開始!」

 それぞれに配置された代表から号令が出され全員が印を結び呪言を唱える。

 途端、強い風が辺りに吹き、雲が月を隠す。

 まるで封じられている妖が結界を阻止するかのように思え、離れたところで待機しているお
手伝いさんや子供達がおびえた顔をする。

 その中で一人最前列に立ってじっと錬だけが真剣な顔で儀式を見ている。

 傍らには界もいるが、一緒に儀式の推移を見ている。

 やがて包囲している三方から青く光る筋がゆっくりと延びてそれがそれぞれに結ばれて三角
形になる。 

「次、逆三角陣!」

 その合図で包囲している三方から半分の男女が三方の間に移動してまた印を結んで呪言を唱
える。

 今度は赤く光る線が三方から出て繋がる。

 そうすると上から見ると三角形と逆三角形が合わさった形……いわゆる六ぼう星もしくはダ
ビデの星と言われる形になるが、何か違和感がある。

 錬が「あっ」と声を上げて一、二歩近づくが、突然吹いた突風で後ろに倒される。

「何だこれは!」

 逆三角形の下の部分に居た日間が叫ぶ。

 本来なら綺麗に重なるはずだった三角形の部分がずれて配置されていたようで六ぼう星の形
が崩れている。

 数十人もの人間が練りこんだエネルギーが本来の形から崩れているため急速に外に流れ出て
きている。

 それに呼応するように封石にヒビが入っていく。

 鈴音が老人とは思えないような声で叫ぶが、すでに封石には無数のヒビが入り、ボロボロと
表面がはがれてきている。

「いかん!封印が……全員持ち場を……」

 言い終る前に封石が割れて粉塵が辺りを包みこみ、視界をふさがれる。

 徐々にはれてくる視界の中に誰かが立っている。 

 割れた封石の中で空を見上げるようにその誰かは顔を上げる。 途端、その場にいた全員に
寒気が走る。

 それはまるで氷柱の中に閉じ込められているようで、全身を覆う悪寒に耐え切れないでその
場にうずくまるものもいた。

 やがて粉塵が闇に侵食されるように霧散していく中で一人の女がかつて封石であったものに
上に立っていた。

 稲穂のような黄土色の髪、白銀のような肌、に赤と青の瞳をしたそれは一糸まとわぬ姿で悠
然と彼らを見下ろしていた。

「こ、これが……伝説の大妖……」

 搾り出すように呟く日間の横で鈴音がポツリとその名を言う。

「片尾……」

 名前を呼ばれた女がにやっと笑って、封石から飛び降りる。

 そしてツカツカと鈴音に向かって歩き出して前に立つと、彼女よりもやや高い位置から顔を
近づける。

 その間、誰も動けない声もかけることすら出来ずに呆然と見ていた。

 片尾と呼ばれた妖は、

「そうじゃ、お前らに四百年も石の中に閉じ込められていた片尾じゃ……想像していたよりも
美しいか?」

「思ったよりも若いんですわね」

 鈴音の返しに一瞬驚いた顔をしたが、すぐに愉快そうに笑い始める。

「はははは……愉快愉快、さすがはこのわしを四百年も閉じ込めてきた一族の長じゃな」

「私が長だとよくわかりましたね?」

「わかるわ……匂いと何より……お前が毎回わしの上であの偉そうな演説をやっておるから嫌
でも声を覚えるわな」

 それだけ言うとふわりと飛び上がってもう一度封石の上に降り立つ。

「さてと……四百年ぶりに外に出たんじゃから宴でも始めようかの。ちょうど、頭数だけは居
るようじゃからな」

 女が裸のままで指先に軽くキスをする。 

 すると指の上から緑色に光る球状の物体が発生した。

 片尾がチラリと周囲を見渡すと、ピタッと視線を右手にあるグループに止める。

「お前らは合唱隊じゃ……良い声で鳴けよ?」

 指先から緑球が離れて彼らの頭上に達すると、片尾がパチリと指を鳴らす。 

 瞬間、緑球が爆発して緑色の煙となって彼らを包み込んでしまう。 

「な、何を…」

 誰かが呟いたが、それは誰かもわからない。

 全員が緑色の煙の中を凝視してそんなことは気にしていなかったからだ。

 やがて緑煙がはれ、かつて各支部から選りすぐられたはずの猛者達がいたところにはちょど
彼らと同じ数の蛙がいた。

「うむうむ……それでは左側じゃ」

 いつの間に用意していたのか今度は黄色に光る球を左側にいた者達に投げる。 するとまた
もや黄色の煙となって彼らを包み込む。

 そして煙がはれた先には彼らと同数の猫がそこにいた。

「う、うわあああ!逃げろーーー」

 誰かが一人逃げると、その場にいた全員が片尾から走り去る。

 先程まで彼らの胸にあった誇りなどはまさに埃のように心中から消え去っていて、ただただ
始めて接する規格外の恐怖に生物としての本能にしたがって逃走していた。

 しかし彼らの目前に地面から黄緑に光る火柱が立って彼らの行方を阻む。

「逃がさんよ……せいぜいわしを楽しませるがいい……」

 幼少のころより辛く厳しい修行をし、共に研鑽を積んだ仲間のトップに立っていた彼らの自
信は上げることの出来ない悲鳴と形を変える身体と共に小さくなり消えていった。

 彼らの声無き悲鳴は外側にいた者たちには聞こえず、ただ急に舞い上がった砂塵と地面から
突き上げられた緑炎の柱によって何か問題が生じたということだけは理解できたが、

 結界構築に参加した彼らと違い、ただのお手伝いと修行中の子供、そして無能のレッテルを
貼られている従者には何も出来ず、心配そうに見つめているだけだった。

「歌が……聞こえる」 

 最前列で炎を見ていた錬が急にそんな事を言う。

「えっ?……あっ、確かに……」

 横にいた界が耳を澄ますと、確かに何か聞こえる。

 それは最初はただの不協和音……あるいは動物の鳴き声のようであったが、徐々に……しか
し確実にメロディーと歌詞をつむぎだしていく。

「はっはっはそ~れもっと声を上げよ!」

 崩れた……かつて自分を閉じ込めていた物……、封石の上に立ち、細く長いしなやかな指を
まるで指揮者のように振って動物達に命令を下す。

 崩れた封石の上に立つ大妖……その周りを囲むのはかつて人間であった者たち……、蛙に猫
に狼……多種多様な動物達が片尾の命令にしたがって一際大きく彼らが声を上げる。

 蛙は低音の聞いたベース音を出し、猫はミディアムに中音を担当し、狼は遠吠えのように高
音をだしている。

 そして混声合唱を表しているかのようにその他雑多な動物達が思い思いに歌を歌う。

 まるで一つのオーケストラのように彼、彼女達は姿を変えられ自らを楽器、演奏者となって
片尾の賛美歌をやらされている。 

 心底可笑しそうにオーバーに身体を揺らしながら指揮をする片尾の前にはまだ人間の者達が
呆然と観客のようにそこに立っていた。

 白髪の髪を後ろで結わえた御当主鈴音とその孫であり時期当主の月代、有力分家である有藤
の後継者、有藤陸とその妹有藤日輪、そして熊のようなごつい身体で最前列に立つ日間……残っ
ているのは彼らだけ、後の者は皆演奏隊にされてしまっていた。

 緊張した面持ちの彼らとは対照的にかつて仲間達だった者達が奏でる演奏は一段と盛り上が
り、指揮をしている片尾もさらに大仰に身体を揺らす。

 やがて一際大きいメロディーの後に上品な旋律でフェードアウトして演奏は終わった。

 炎に囲まれたステージの中は静まり返っていた。

 まるでそこだけ切り取られたように沈黙がその場を支配している。

 やがて満足したようにうんうんとうなずいていた片尾が鈴音たちに向き直る。
 その目は先程までの無邪気な者ではなく、見るもの全てを凍りつかせるような冷酷な表情に
なっていた。

「何故お前らだけを残したと思う?」

 氷刃のような冷たく突き刺さるような声で問いかける。

「わかるのよ……お主ら、わしをあの石の中に閉じ込めた者達の子孫じゃろ?あいつらの嫌な
臭いがお前らからプンプン臭ってくるわ」

 冷たい言葉とは裏腹のグツグツと煮え滾るような憎しみのこもった声で片尾が封石から降り
立つ。

「日間殿……ここは私がひきつけますからどうか御主様と日輪を連れてお逃げください」

 陸が小さい声で日間に話しかけると日間も小さくうなずき、すすっと後ろに下がる。

「ここはひとまずお退きを……」

 日間が押し出すように月代達を走らせる。

「おやおや、どこ行くのだ?」

 余裕の表情で歩き出したところで頭上からカラスに似た黒鳥が片尾に向かって鋭いくちばし
を突き出して急降下してくるが、直前で破裂するように白い紙の残骸を残して散る。

「式紙か、そんなものでこのわしが……」

 今度は地面から大きい顎を持った蛭子と呼ばれるムカデが出てきた。

 この数日前に錬にけしかけようとした陸の最大最強の式紙であった。

「ほう……大ムカデか、少しはやるようじゃの」

 片尾がパチリとまた指を鳴らす。 すると演奏が終わった後は死んだように目をつぶってい
た動物達がまた自身らの身体を使ってゆっくりと演奏を始める。

 大ムカデがその巨大な顎を開いて片尾に襲い掛かるがまるで踊るように避ける。 地面に穴
を開け、頭を持ち上げてもう一度襲い掛かるが、それもまたひらりとかわされてしまう。

「くっ……」

 陸が焦ったようにムカデを操作して襲いかかるが、

「はははは、鬼さんこちら~、どうしたんじゃ?まだまだやれるであろう?」

 子供のようにはしゃぎながら攻撃をまるで踊るように右へ左と避け続ける。

 演奏はダンサンブルでリズミカルになっていて片尾がムカデを避けるのにあわしてリズムを
強調するような音に変わる。

 一人でクルクルと踊り続ける演奏会は緑の炎柱壁とあいまってひどく幻想的ですらあった。

「これならどうです!」

 これでは埒があかないと判断した陸が印を結んで力を込めると、ムカデの胴体の半分くらい
先からもう一つの頭がムリムリと生えてくる。

「おお!これではさらに拍子を上げなくてはならないの」

 ワクワクしたようにその場で軽くステップを踏んで、ダンス相手を急かすように待っている。

 やがて双頭のムカデが奇声をあげて襲い掛かるが、それすらも難なく片尾はかわし続けてい
る。

「ほらほらもっと拍子を上げよ!まだまだ欠伸が出てしまうぞ」

 怒涛のごとく責める双頭の攻撃を避けながら挑発的に欠伸をして見せる。

 必死で集中し、汗を滲ませた緊迫顔の陸とは裏腹に楽しそうな片尾、動物達が作り出す明る
く速いリズミカルなメロディーは滑稽な喜劇にすら見えた。

 その劇を見るものは居らず唯一の観客であったはずの者達は黄緑に鈍く光る炎壁の前で立ち
つくしている。

「何じゃ、拍子が落ちてきておるぞ。もう限界なのか?まだまだ出来るじゃろ……ほら、待っ
ててやるから法力を練り上げよ印を結べ呪言を唱えよ、やっとなまった身体が温まってきたば
かりじゃ、ほら早くせよ。早く!早く!早く!」

 とっくに限界を迎えているのをわかっていながら嗜虐的な笑みを浮かべて叱咤する。

 陸も何とか腕を動かして印を結ぼうとするが力なくその場に崩れ落ちる。

「なんじゃ……つまらん。 所詮はこんなものか、そもそも……」

 陸を見下ろしてなじる片尾の後ろで動きを止めていた双頭のムカデが突如動き出して、両側
から挟みこむようにして襲い掛かる。

「用済みだ、消えよ……」 

 くいっと右手を上げた瞬間に式紙は緑の炎で一瞬にして塵に変えられた。
「さてと……」

 動くことの出来ずにいる陸には何の興味もわかなくなったようで無視するように歩き出した。
 

 演奏はまだ続いている。

 しかしリズムもメロディも先程までの雰囲気とは違う静かなものになっている。 いわゆる
新しい楽章に入る前の間奏のようなものに変わっていた。
 次の楽章はどんな風になるのか期待する観客のような顔で片尾が炎壁の前で立ち往生してい
る月代たちを見据えた。

 慎重に炎壁を調べ上げながら日間が慎重に口を開く。

「おそらく昔話で言うところの狐火というやつでしょう……法力を集中して叩きつければ、数
秒くらいは穴を開けられるはずです」

 そういうと荒く息を吐きながら印を組む。 他の三人も同じように集中して法力を練り上げ
る。

 後ろでは陸が必死で時間を稼いでいるが、遊ばれているのがありありとわかる。

「兄様……」

「集中しなされ日輪殿、陸様の覚悟が無駄になりますぞ」

 心配そうに声を上げる日輪を日間が諭すように言う。

「それにしてもどうして結界が崩れてしまったのかの、準備は上々……近年無い程の人数と実
力を持った者達だったというのに」

「おそらくは結界構築に不備があったのではないかと……」

「そんなはずはあるまい、有藤の者は先祖代々結界陣の構築をやっておるのだぞ」

「あの……それは……」 

 日輪が何か言いたげに口を開くが、すぐに口を閉じてしまう。

「そんなことより今はこの壁に穴を開けないと、早くしないとアレが……」

「アレとはわしの事か?」

 日間の分厚い首に腕を回してまるでおんぶしてもらうようにのしかかった片尾が無邪気に問
いかける。

「うわっ!こ、この……離れんか!」

 慌てる日間からぱっと離れて不適に笑う。

「に、兄様は……」

「うん?あの小僧か……、あそこで延びておるわ」

 地面に倒れている陸を指差す。

「それで、覚悟はできておるかの?」

 腕を組んで、試すかのような顔で月代らを睨みつける。

「か、覚悟って……な、なんのことよ!」

「……震えた声でよくさえずるものだな。だが少し黙っていろ!わしは話を遮るものは大嫌い
じゃ」

 有無を言わさぬ迫力で睨みつける。

 月代とて時期当主としての風格は備えているし、度胸とてあるはずだが、片尾の出す圧倒的
な雰囲気に呑まれ「キャッ!」と少女らしい悲鳴を上げる。

「死ぬ覚悟ということですか?」

 鈴音が真剣な顔で聞き返すとニコッと笑って肯定する。

「そうじゃそうじゃ、蒼海の血は全て根絶やしにせんと気がすまんからの」
 こだわりを自慢するかのように無邪気に答えるその姿に月代、日輪、日間がゾッとした顔を
浮かべる。 

「この老婆の命差し出しても見逃す気はないのでしょうな」

 諦めたように溜息をついて聞く鈴音に、

「無い、というかとりあえずこの辺りの人間全員皆殺しにする気なのでな」
 残酷な笑みを浮かべて答える。

「さて、死ぬ前の話はこれくらいでいいじゃろ。せめて少しは抵抗してみせよ、退屈……へプ
チッ!」

 台詞の途中で片尾がくしゃみをする。 そして乱暴に鼻を擦り上げながら寒そうに身体を震
わせた。

「やはり裸はこたえるの~、何か服を持って来い!誰か居ら……へプチッ!ヘプチッ!」  
  

 今度は連続でくしゃみをする。

「だから早く服を持ってこいといってるじゃろうが~!」

 イラついたように怒鳴る片尾をよそに日間が、そっと囁く。

「「な、何かよくわかりませんが、今が勝機です。練り上げた法力を全員でぶつければさすが
の大妖も……」

「面白いことを考えるの~小僧」

 ガシっと日間の短く刈り上げたでかい頭をおそらくは掴んだつもりなのだろうがほとんど撫
でているようにしか見えない。

「よし!小僧の言うとおりにわしにお前らの力をぶつけて見せよ」

 一歩下がって腕を組み挑発的な顔をして自分に攻撃してみせよと言う。 

 その提案に全員が驚いていると、さらに口を開き、

「どうした?わしを倒せる勝機なのだろう? わしはここから一歩も動かん」
 宣言して、ニヤニヤとその場に立っている。

「お、おのれ……ふざけおってからに……これでもくらえい!」

 激高した日間が周囲の制止を聞かずに体内で練り上げた法力を片尾の顔面に発射する。

 白い閃光が片尾の顔を飲み込む。

「なっ……」

 数日かけて準備をし、今日一日をかけて練りこんだ力、全力で放った一撃はいかな過去に悪
名を轟かせた悪妖だろうと無事でいられるはずがない、しかも相手の虚を突いた一撃だったの
だ。

 防御すらさせていない……なのに……。

 まるでそよ風に撫でられたような涼しい顔をして化け物は立っている。

「どうした?わしは全員でと言ったのだぞ?」

 相変わらずの挑発顔でニヤリと笑う。

 日間の放った一撃、今日集まった全国の猛者達の中でも自分以上の人間はそうはいないと思っ
ていた。

 だからこそ大妖が相手でも十分に通用すると信じていた、いや、そう自惚れていた……その
自惚れを実感させた者はゆらりと手の平を向け一言、

「お前は死ね」

 目の前が白くなる。

 日間には一瞬何が起きたのかわからなかった。 気がつくと自分はその場に尻餅をついて敵
を見上げていた。

 自分の左後方にまるで巨大なドリルで掘削されような溝が出来ているのを見て彼はとりあえ
ず死んでいないと言うことだけを理解した。

「……よくもやったな」

 まとわりつくような恐怖と悪寒を感じさせながら低い声で睨みつける。

 上げた手の軌跡は日間の顔の横を抜けて例の抉り出された地面の方へと向いていた。

 手首の辺りには何か当たったのかうっすらと赤みがさしていて、片尾がそっとその部分を真っ
赤な舌でそっと舐め上げ、じろりと震えながら構えている月代を見る。

「小娘……お前から殺してやろうかのう。引き裂いてやろうか?縊り殺してやろうか?」

「う、ううっ……あっ……」

 月代の手には数本の針が握られている。

 さきほど放った技で使った針の数は数十本、それでも手の軌道をずらす程度にしか出来なかっ
た。 

「月代!」

 鈴音が叫ぶが、同時に弾き飛ばされて地面に転がる。 

「黙っとれ……」

 ゆらりと月代の前に片尾が立つ。

「月代様ーー!」

 日輪が懐から短剣を取り出して掴みかかるが、

「うあっ!」

 あっさり短剣を弾き飛ばされて顔を掴まれて持ち上げられる。

 月代も顔をガシっと掴まれ、片尾の細い身体のどこにそんな力があるのか顔をつかまれたま
ま片手で持ち上げられる。

 見た目は二十代前半くらいの妖怪はまるで紙人形のように片手でゆらゆらと月代と日輪を揺
らしながら、身体が凍り付いてしまうような声で呟いた。

「決めた……お前らはこのまま頭をグシャリとザクロのように潰してやろう。最後に何か言い
残すことはないかのう?断末魔の悲鳴だけでは何かと勿体無い。久しぶりに人を殺すのだから
な」

 まるでお遊びのように宣告される死に、月代の頭の中で恐怖の感情が爆発するように広がっ
ていく。

 怖い怖い怖い怖い怖い死にたくない死にたくない……助けて…誰か助けて……。 今までこ
んな恐怖を感じたことはなかった。

 なすすべも無く蹂躪される恐怖がこんなに強いなんて……。

 まるで痙攣するように震える横で日輪が同じく顔をつかまれたまま震えた声で呟いた。

「錬様……」

 その言葉が頭の中で弾ける。 

 いつも周囲に嘲笑されていた従者の顔が思い浮かぶ。

 周りの嘲笑に耐えて、何だかんだといいながらも自分のフォローをしてくれた幼馴染の名前
を呼ぶ。

 決してこんな化け物に対峙できるはずなど無いのに助けを求める。

「助けて……助けてよ錬……お願い……」

 口に出した途端、顔を掴んでいた力がふっと抜けて、そのままどさりと地面に尻餅をついて
着地する。

「遅かったではないか!」

 まるで親しい友人に声をかけるように片尾が叫ぶ。

「無茶を言わないでください。炎の壁に遮られてて入れなかったんですから、上手い具合に壁
が欠落したのでなんとか入ってこれたんですよ?」

 聞きなれた声がする。

 顔を上げようとするが震えて上げることが出来ない。 ただ足音が自分のすぐ横に来たとき
にそっと横目で見る。 

 ポンっと誰かが軽く頭の上に手を置いて、そのまま抜けていった。

 見覚えのある履物が視界の端に見えて、やっと視線を上げると、よく見慣れた人物が片尾に
自分達と同じような巫女服と袴を渡して片膝をついてまるで従者のように控えるのが見えた。

「そ、そんな……」

 日輪が口元を押さえて信じられないというように言葉を漏らす。

「なんじゃ、辛気臭い服じゃの~。もっと華やかな物はなかったのか?」
「まさか裸で出てくるとは思わなかったもので……とりあえず今はそれで我慢してください」

 蒼海の開祖でさえ倒滅することができずにかろうじて封印できた大妖とまるで長年通じ合っ
た主従のように接する錬を見て、当然の問いかけを月代が発する。

「ど、どういうことなの……なんで……そ、それよりも何でそんな親しげに……」

 だんだんと混乱する月代を放って、服を着るのに戸惑っている片尾の世話を始める。

「ですから……袖に腕を通して……袴の向きが逆です……こっちが前ですから……」

 自分の問いかけを無視され、かっとなって顔を張ろうとするが、上げた腕を片尾が乱暴に掴
み上げる。

「う~ん?わしの従者に何をする」

「えっ……グゥッ!」

 まるで万力に挟まれているかのように腕が握られる。

 ミシミシという、骨が悲鳴を上げる音が聞こえ苦痛に月代の顔が歪む。

「片尾様……腕を上げられていると前が閉められません」

 チラリと見上げながら錬が静かに言う。

「おお、わかった」

 握り潰される寸前だった腕が解放された月代が腕を押さえてその場でうずくまる。

「娘よ、今は服を着るゆえ殺すのを待ってやろう。しばらくはもうすぐ終わる生の喜びを噛み
締めておれ」

 言葉のきつさとは裏腹に機嫌よく片尾が頭の上から声をかける。

 錬がチラリと月代を見て、すぐに袴の帯を締める動作に入った。

「はい……これで大丈夫です。帯は苦しくないですか?」

「う~む、久しぶりに服を着たせいか違和感があるのう」

 何か動きづらそうに腕や足を動かす。 

「そのうち慣れるでしょう。後で街の方にでもいって新しい服を買いにいきましょうか」

 まるで自分と接する時のように話す錬の言葉に悲しくなる。

「うおおーーー!この裏切り者め!」

 錬の後ろで日間が腰を抜かしたまま罵倒する。

 『裏切り者』という言葉に反応して月代が頭を上げて錬を見つめる。

 錬は裏切り者という言葉をかけられても無表情のままで、ただ自分と目が合ったときにだけ
何か悲しそうな辛そうな表情をするが、すぐに無表情に戻る。

「よくぞわしの封印を解いてくれたな錬よ……、感謝するぞ。約束どおりわしの従者にしてや
ろう」

 封印を解いた……? その言葉により、まだわずかに持っていた何かの間違いだという希望
が崩れ去る音を聞いて絶句する。

「さて……契約の儀式を始めるかの。錬よこのわしに忠誠を誓い、その全てをささげよ」

 錬をひざまずかせると軽く自身の指先を噛み切り、赤く流れる血を錬の額に持っていき何か
を描く。

 その何かは一瞬錬の額で赤き光り、すぐに吸収されるように消えていった……。

「これでわしとの契約は済んだ!先程刻んだ呪印により、錬とわしの身体は何処にいても繋がっ
ておる……契約を解除せぬかぎりな」

「……ありがとうございます。片尾様」

 悪夢を見ているようだった……いや悪夢そのものであった。

 八歳のころから一緒にいた従者が自分達を裏切り、あまつさえかつてこの地の人間を虐殺し
ていった妖怪の封印を解き、その従者となったのだから……。

「さて、後はこの場にいる者たちを屠るだけなのだが……まずはお前から始めようかの」

「キャアッ!」

 乱暴に腕を掴まれてそのまま上げられる。

「そうそう……お前とその娘は頭を握り潰す約束だったの……それでは潰れよ」

 ぐっと頭を掴まれ、まさに握り潰されるその寸前、掴まれていた手が急に開いて月代の身体
が地面に着地する。

「ぐっ?何じゃ……この感覚は?力が……」

 急に手を離してその場でよろめく…。 

 シュバッ! 辺りを囲んでいた緑炎の壁が消え去る。 

「な、何じゃ……これは……どうして……ぐっ!」

 さらによろめいて、とうとうその場に膝をつく。

「どうやら……長い封印から覚めて力を使ったので妖力が枯渇したようですね」

「ば、馬鹿な……今まで一度だってそんなことは……」

「残念ながら事実のようです。楽隊達も元に戻っていますから」

 錬が指差した方向を見ると、動物に帰られた者達が次々と元の姿に戻ってこちらに走ってく
るのが見えた。

「おのれ!あと少しの所だったというのに……あと少しで!」 

 悔し涙を見せながらゆらりと立ち上がる。

「とりあえず今は引きましょう。そんな弱った身体では戦えそうにないですから」

 優しく主に肩を貸して支える。

「錬……本当に……わ、わた……裏切ったの?」

 長年共に居た従者の少年を見つめる。 

 何か困ったような悲しいような顔をして錬がゆっくりと口を開く。

「残念ですが……その通りです。どうかいつまでもお元気で……それと日輪……」

「は、はい!」

 今の今まで呆けた表情で成り行きを見ていた日輪が名前を呼ばれて慌てて返事をする。

「勝手に決められたこととはいえ、こんな許婚ですまなかった。どうか今度は別の誰かと幸せ
になってくれ」

「そ、そんなこと……は」

「さて……そろそろ皆がやってきますね……二人ともどうかいつまでも元気で……」

「覚えておれよ……、回復したら必ずまた戻ってくるからの……それまで……ぐうっ!」

「片尾様……」

「ふん!いくぞ錬……。しっかり捕まっておれよ……落ちても知らんからな」

 荒い息を整えるために二、三度深呼吸して片尾は錬を抱えて飛び去る。  
 後に残されたのは、呆然とした顔で立ち尽くす月代と嗚咽しながら泣きじゃくる日輪、それ
に悔しそうに歯噛みする日間といまだ動けないでいる鈴音だけだった……。 

red18
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